定時通報

第156報 2008年06月28日(土)
 目をつぶり 今日も明日も過ぎてゆく > 写真
 最近、イベントのチケットがよく当たります。先日は映画「クライマーズ・ハイ」の試写券が当たりました。今週は映画「カンフー・パンダ」の試写券が届きました。極め付けは、休止を発表したサザン・オールスターズのチケットです。 「サザンが解散か?」というスクープ記事が出た瞬間、サザンのファンクラブに入りました。柄にもなく湘南ボーイなので、カラオケに行くと必ず歌います。留学するときも、桑田佳祐のCDを持っていきました。極寒のスウェーデンで聞いても雰囲気出ませんでしたが・・・。 ともあれ、楽しい夏になりそうです。
 ニート的生活の日々ですが、ひと月が過ぎてみると、いろいろやっていることに気がつかされるものです。月の継ぎ目の週末は大磯に帰りました。土曜日は久しぶりにWCBF横浜大会の仲間と会い、お夕飯とお茶をしました。おいしい台湾料理屋さんでゲラゲラ笑った後、雰囲気のある喫茶店でも、メニューを見ては大笑い、お皿が出てきたら笑い転び、おしゃべりしては泣き笑い、という有様で、本当に楽しい時間をすごしました。息継ぎしていたか覚えていません。
 日曜日は「大学卒業以来」というくらい久しぶりに小澤君と遊びました。開拓の進んだ茅ヶ崎駅周辺で、2ちゃん用語を織り交ぜながら日本について語りました。お互い全く社会の役には立っていないわけですが、これからが人生。がんばりますよ〜♪
 次の週は、スウェーデンから帰国中のまなみさんと、期待の第一子を宿したますみさんに会いに、柏に行ってきました。関東ながら、柏は初めての上陸です。電気屋からデパートから、何でもありました。まなみさんとは9月の渡欧調査について相談し、ますみさんからは妊婦の心得を聞きました。いやぁ、世界は広い。まだまだ知らないことだらけです。
 6日の金曜日から2泊3日、水泳のジャパン・オープンに来ていた良平が泊まっていきました。土曜日には最初の留学仲間のよし君が東京へやってきました。よし君は一流企業にお勤めでしたが、一念発起して会社を辞め、アメリカに留学することになりました。さすがです。学部の時に留学する人は結構いますが、複数回留学する人は限られています。僕もそうですが、よし君も、由美子も、カールも、みんな複数回組です。こんなチャレンジャーな面々だから、類は友を呼んで、まとめて飲み潰れていたのかも知れません。 よし君の志が実るように願っています。
 8日からの3泊4日は台北旅行へ出かけてきました。今年は本当にアジアな年です。台北は夏でした。暑すぎです。熱中症になるかと思いました。「日本語が通じる」と聞かされたはずですが、なぜか誰もが台湾語で話しかけてきました。終いには、バスの中や路上で台湾人に道を尋ねられる始末です。最近どこへ行っても現地人に見られます。良いのか悪いのか。 旅の終わりには店員が台湾語で話してきて、こちらが日本語で話して、お互い通じ合うという不思議なコミュニケーションが成り立っていました。この場合、「媒介」ってなんでしょうね?ただ「笑顔」だったりして。でも、こんなに居心地のいい旅行も久しぶりです。これからのバカンスはハワイよりも台湾がおすすめですよ。
 勉強の方は中だるみ中です。まぁ、「いつ張っているのだ?」と突っ込まれると思いますが。去年12月にしたインタビューのテープおこしを始めたのですが、スウェーデン人の英語なので、たまにスウェーデン語が混じったり、財政の専門用語が混じったりして、遅々として進みません。始めて10日ほど経ちますが、まだ30分しかおこせていません。先は長いのです。逃避願望なのか何なのか、特許の本やら社会学・政治学系の本やら、やたらと本読みが進みます。 でも、書く方の手がまったく動きません。だらしないなぁ、と思いながら、今日も明日も過ぎていきます。7月末に京都で勉強会、9月にスウェーデンで学会発表なので、そろそろエンジンをかけないといけません。あぁ、僕の身体にも水で動く永久機関がついてればよかったのに。
横浜大会の参加者も、そろそろ二十歳だよ・・・。そりゃ、歳もくうはずだ。
ミニミニWCBFのつどい
TAIPEI101を仰ぐ体操おじさんのシルエット
見どころいっぱいの台北旅行

第157報 2008年08月03日(日)
 ケビン台風が直撃しました > 写真
 福田改造内閣が発足しました。若輩ながら、新しい政策目標に「女子トイレを現状の2倍に増やす」ことを掲げることをお勧めします。これで女性票はばっちりです。
 この段落はピリ辛なのでごめんなさい。この2週間はスイスからケビンをお迎えして、遊び回っていました。浅草の花やしきへ行ったり、浦和レッズ戦を見に行ったり、東京観光をしたり、それはもう、盛りだくさんの内容でした。 笑顔で頑固な彼は、旅の中盤から疲れを見せ始め、だんだんわがままになったり、忘れ物が多くなったりしましたが、女の子に対してはジェントルマンを貫いていました。(それはそれで尊敬に値しますが・・・)やっぱり西欧人の価値観は違うなぁ、と感じる日々でした。 外国人のお相手も楽しいのですが、さすがに2週間つきっきりとなると、本業もストップしてしまいますし、こちらも滅入ってしまいます。今後は泊まるだけか案内だけか、どちらかにして適切な距離を保つべきだな、と思いました。何事も経験です。面倒を見てくださった皆様、本当にどうもありがとうございました。
 ケビンはiPodを仕入れに帰ってしまいましたが、亮太と優希と連れ立って、27日は大磯ロングビーチへ行ってきました。小学生の頃によく行った馴染みの施設でしたが、開園時間から閉園時間まで、がっつり遊び倒してきました。波のプールでは浮力と波の力だけで岸までたどり着くべく、30分以上もぷかぷか浮いてみたりしました。 新しくできたらしい波乗りの施設では、若いお兄ちゃんや子どもたちに見られておどおどしながらサーフしてきました。ゆうきと亮太も挑戦して、格好良く波を切っていました。他にも、明子がauの携帯電話を買ったときにもらったノベルティ・グッズで水中野球をしたりして遊びました。 おかげで日焼けで真っ黒けです。背中の皮がボロボロむけて、床にカスが散らかっています。まるで蛇の脱皮のようです。ロングビーチは一時期とてもさびしい感じで、冬は釣堀をやっていたりもしました。僕が小さい頃の夏は、プールに入る車の列で常に国道1号線が渋滞していたのですが、最近はそんな光景を見かけることがありません。 夏の景色は景気後退とともに変わっていきました。しかし、最近またテレビでも見かけるようになり、盛り返してきているようです。がんばれ、ロングビーチ!!
 7月末は京都・大阪観光へ出かけました。出発前夜、衝撃的な健康障害がありましたが、電話の問診でとりあえず解決。予定通り大阪入りすることになりました。大阪では良平宅に泊めてもらいました。某サナダ寮に比べて格段にきれいになった新しい部屋は、効果的な家具配置で、それなりに快適でした。 京都では大学院の集中講義を覗いた後、北欧教育研究会コア部会(勝手連)をやりました。9月にヨテボリで北欧教育学会があるのですが、その発表原稿のアイデアを持ち寄って検討しました。久しぶりに北欧談義を満喫して、ざっくばらんな討論を楽しみ、とても充実した会でした。(その間ケビンはスーパー銭湯へ)
 なんやかんやで毎日忙しく動き回っていましたが、一昨日ケビンはスイスへ帰っていきました。と思ったら、ついさっきメールで「充電器とサンダルを忘れたから送ってくれ」とのご連絡。ケビン台風(お父さん命名)の傷跡はもう少し残りそうです。
 さて、明日からは楽しみにしていた三宅島です。今日の飛行機は欠航、明日の便も欠航の可能性濃厚との連絡ですが、無事にたどり着いてアイランド・バカンスを楽しめることを期待しています。行ってきま〜す♪    
ロングビーチを誰よりも満喫した一日でした
流れるプールでフローティング亮太
グリコの看板が何で有名なのか、そんなの知らないし、知らなくてもいいと思うよ。
関西人張りに体をはるケビン隊長

第158報 2008年08月22日(金)
 新開発「完熟スイカのあたま割り」 > 写真
 夏休みなので、エンジン全開です。ケビン台風通過後の4日から7日までは三宅島に行ってきました。 噴火から8年、避難解除から5年、前回の訪島から3年が経ちました。一段と緑が増え、噴火によって立ち枯れた木が目立たなくなっていました。
 4日は12時のフライトだったのですが、浜松町あたりできいちゃんから「天候調査中につき搭乗手続き中止」のメールが入り、大井競馬場を通過するあたりで三宅島から「本日欠航決定」の知らせが入りました。 出だしからドタバタですが、時間にはアドスタが羽田空港に集合し、すぐに東海汽船を予約しました。航空券代払い戻しの後、1日のつぶし方について緊急ミーティングを開催しました。 時刻は12時頃、フェリーの出航は夜10時なので、半日丸々空いていました。飛行機代は返ってきたし、1泊分の民宿代が浮いてしました。そこで、行って帰ってこれる最遠地まで飛行機で飛ぼう、と言うことになりました。韓国、福岡、那覇、大阪・・・。どこも時間が合わずにがっかりしましたが、結果的に稚内に落ち着きました。12時40分羽田発、稚内で30分、16時55分羽田着で往復8万円というすばらしいスケジュールです。 というわけで、行ってきましたよ、生まれて初めての北海道♪たった30分の空港ツアーでしたが、おいしい海鮮丼をたらふく食べてきました!
 うそです。現実は、なつかしの秋川再訪案も有力でしたが、結局横浜中華街ツアーになりました。とにかく、転んでもただでは起きません。中華街ではすれ違いざまの老夫婦に「ここの餃子がおいしいよ」と薦められて、そのいかがわしさに魅力を感じて入った中華飯店が予想を裏切る大当たりでした。月曜の昼間から中華を食べてビールをのむアラウンド30の5人組。明らかに世間から浮いていました。おいしい料理をたらふく食べて、お水をたくさんおかわりして、ちまちまと餃子を頼んで、随分長居をさせてもらいました。なにせ、10時まで暇を潰さないといけないわけですから。 そして、5人揃って午眠モードに入ってしまったご一行は、山下公園から遊覧船に乗りました。昼下がり、2列の座席を堂々と占拠して爆酔する5人組。そして着いたのは扇形をしたインターコンチネンタルホテルです。ここのカフェでぺちゃらぺちゃらと、日が暮れるまで世間話をしていました。その後、横浜駅へ出てそばを食べ、ようやくフェリーに乗船です。
 フェリーは当日の予約だったので、椅子席になってしまいましたが、他にお客さんがいないようだったので、思い思いの姿勢で寝ました。5時に三宅島の錆が浜港に到着すると、つばさが迎えに来てくれていました。
 ようやく着いた三宅島。つばさ家に着いたらすぐにシャワーを浴びさせてもらい、朝ごはんをいただいて、車を借りて寝起きのともやとよっちを迎えに行きました。そして、溶岩で黒光りする砂浜の大久保浜で海水浴をしました。民宿に泊まるアドスタのみなさまは槍を持ち出してつきんぼなんかやっていました。 みんなでお昼ご飯を食べに行った後は釣りがしたいいっしーの希望で伊ヶ谷へ。ちょうどこの週だけ村の人たちがシー・カヤックを貸し出していて、ジーパンのままカヤックに乗せてもらいました。入水後1秒足らずで見事に転覆してみました。カヤックは思ったより快適で、堤防から見えた洞窟のようなところへ探索に行きました。クモの巣しか発見できませんでしたが、求知心は十分満たされました。 夜はメタボ対策ジョギング大会を開催しました。当初つばさと僕で走る予定だったのが、希望者多数のため全員参加の大イベントになってしまいました。言いだしっぺの僕は見事にびりっけつになり、全員にジュースを振舞う羽目になってしまいました。
 2日目の朝は5時起きでした。重役が来る大切な日だというのに、つばさのお父さんが仕事前に漁船を出してくれました。(感謝!)前回の三宅島で一番印象深かったのはこの漁船でしたから、今回もとても楽しみにしていました。人数が多くて乗り切れないので、2陣に分かれ、はじめは堤防の灯台脇で釣りをしました。 「ジョギングで筋肉痛だー」とか言いながら、うだうだやっていると、釣り師のみずきが次々と釣り上げていきます。眠いのにテンションもあがっちゃいます。きれいに澄んだ海は、肉眼でもたくさんの魚が見えました。そうこうするうちに第1陣が戻ってきて、いよいよ漁船アゲインです。快晴、無風だったので、船は全く揺れませんでした。漁船のお尻に針をつけた糸を垂らして走るのですが、僕はカツオを1匹を釣りました。
 漁船の後、朝ごはんをいただき、伊ヶ谷へ泳ぎに行きました。「そういえば、海舟はどうしてる?」から始まった一連の「海舟違い」騒動なんかもあり、やたらめったら周りにいる子どもを巻き込んで泳いだり飛び込んだりしました。よっちじいちゃん提供の完熟スイカを海に浮かばせ、「三宅のナベアツ」ことたいしのハイテンションにまかせ、「完熟スイカのあたま割り」なる新レジャーを開発。たいしは一躍たんこぶヒーローになりました。 飛び込み頭突きで割られたスイカは、海水の塩味が程よく利いてとてもおいしかったです。2つ目のスイカは「不条理なスイカ割り大会」にて消費しました。
 夜は大久保浜でバーベキューをしました。バスケ帰りの「海舟違い」と彼のお姉ちゃんも呼んで、人間模様観察会になりました。花火は前回同様のロケット当て会になってしまいました。火事にならなくてよかった。恋の花火は不発でしたが(笑)
 最終日は飛行機が飛ぶことになったので、昼間でお土産を買ったり、島内の観光地を探したりしました。長太郎池では「注意:すべりますよ」の看板を見てはTシャツ化構想を展開し、向かいの坪田港では潮吹き岩を発見し、「つぼたこ」と命名しました。「つぼたこ」は三宅村観光案内所に売り込みに行ってきました。あと、密かなイベントとして、釜の尻で芋ほり大会というのもあります。これからは三宅島がブームかもしれません。
 そうやって楽しみすぎてしまったので、飛行場に着いたのはギリギリを過ぎてしまった頃でした。われわれのためだけのバスとか、苛立っている地上職員とかが待っているというのに、手荷物から缶ビールが出てくるいっしーと、その後ろでライターを取り上げられる保田さんとか、もう、最後まで何やってんですかっ!!という旅でした。
 もう8年も経つというのに、島では誰それの母や兄だのに声をかけられました。こちらは覚えてないことが多いのですが、年賀状の文面まで覚えていてくれたりして、恐縮です。今回もつばさ家には本当にお世話になりました。お父さんとお母さんに恩返しする機会はなかなかなさそうですが、その分つばさ坊ちゃんに返しておきましょう。
 本土帰還後、夕方には佑としゃぶしゃぶを食べに行きました。秋川にいた頃は小学校2年生だか3年生くらいだったのですが、今では高校2年生。大きくさわやかになっていました。島から帰ってきたばかりだけど、島の裏話みたいなことがたくさん聞けて面白かったです。
 さて、続いて9日から13日までは江戸川の野生体験キャンプに参加しました。こちらももう7年くらいの付き合いになるのでしょうか。去年は留学していたので、2年ぶりの参加になりました。小学6年生と中学1年生の女子班を担当しました。今年は体制の過渡期ということもあり、行動範囲が狭められてしまったので、例年の3分の1ほども歩かなかったのですが、新しい野営地を見つけてゆっくりキャンプ活動ができました。 女の子たちはがんばり屋さん揃いでした。誰も持ちたがらないブルーシートが道端に置き去りにされるのが普段の姿なのですが、この班では「○○ちゃん、荷物持ちすぎだよ〜」と声をかけて荷物の譲り合いが起きるほどです。そんな班員に恵まれて、今年はとても楽をさせてもらいました。メニューは子どもたちが勝手に決めていました。初日から鶏肉を使うという荒業でしたが、おいしく照り焼きを作ってくれました。 テント張りは初日に教えて、2日目からは自分たちでやってもらいました。子どもたちが器用な分、自由に使える時間が増えて、今回は楽しみの活動も十分に時間をとることができました。水場ではのりさんが弓矢とハンモックを用意してくれていて、子どもたちは順番に遊ばせてもらいました。水浴びでは他に男子班が2班来ていて、一緒にわいわいと遊ぶことができました。女の子はなんだかリーダーの若い男の子たちのファンクラブとか作って盛り上がっていましたが、おじさんは蚊帳の外でした。 キャンプってこんなに楽だったかなぁ、と、今までの辛い班活動を思い出していました。時間に余裕があった分、もっと限界に挑戦するような活動もさせてあげたかったというのが反省点です。活動範囲に縛りがあるとはいえ、何かキツイ体験ができるように、もう一息頭をひねっても良かったかもしれません。これは来年以降に持越しです。いつまで野生と関わっていられるかは分かりませんが、関われるうちは全力で楽しみたいと思っています。
 明日はアメリカからいらっしゃる小学校の先生方の東大案内をします。明後日はいよいよサザンのライブです。今回三宅島にいけなくなってしまった塩野さんを誘いました。そして、月曜日にはスウェーデンに向けて出発します。3回目の学会発表は我が故郷、ヨテボリです。楽しみ半分、プレッシャー半分ですが、有意義なものにしたいです。
2回目にしても、期待以上の盛り上がりを保障してくれた三宅島
あたま割り後のハイテンション
女子班がこんなに楽だとは知らなかった。2年前の涙汗は一体・・・。
刺激MAXの野生キャンプ

第159報 2008年10月19日(日)
 クリエイティビティ充填中 > 写真
 冬学期も始まり、いよいよ学生らしい生活に戻りつつあります。前期は経済学部の授業を受講しましたが、今期はスケジュールが合わないので、法学部と文学部の授業をとっています。 純粋な趣味の世界に浸っていますが、新しいことを聞くと日々の生活の見え方が変わります。一流の先生の授業は難しいけど深くて面白いです。
 巷では「食欲の秋」とか「勉強の秋」とか、都合の良いように言いますが、僕にとっては「株取引の秋」と「ゲームの秋」です。 日が暮れる頃にテレビゲームの電源が入ります。夜中から「信長の野望」をはじめて、睡眠もそこそこに授業に出る、という生活です。叱責するなかれ、これも学生ならではの生活です。
 ホームページの更新が滞ると、方々からつつかれます。「お父さんのページ」になってるじゃんとか言われます。気がつけば前回の更新から2ヶ月が経っていました。そして、気がつけばスウェーデンから帰国してひと月が経っていました。 なぜだか、クリエイティビティが低下するサイクルというのがあるようです。
 さて、8月下旬には念願のサザンライブに行ってきました。日産スタジアムに超満員の観客は、あいにくの雨にも関わらず絶叫的なハイテンションでした。次から次へと流れる馴染みの曲に、会場中が熱唱をかぶせて大盛り上がりでした。 当面活動休止ということですが、また戻ってきたときにはライブに行きたいな、と思いました。
 ライブ翌日にはスウェーデンに向けて出発です。最近は年をとったせいか、朝早くの出発とか長時間のフライトとか旅行の準備とか時差ボケとかがかなり億劫になってきました。でも今回は最新鋭機に乗るために、わざわざシンガポール経由なんて無茶なことをしてみました。 シンガポールは巨大資本のにおいが鼻につく国際都市でした。料理はバリエーションに富んでいておいしかったです。復路でも乗継時間に街に出て、マーライオンさんとご挨拶してきました。
 スウェーデンではほとんどの時間をウプサラで過ごしました。9月上旬にヨテボリでヨーロッパ教育学会が開かれたのですが、この発表のために毎日研究室で原稿を書いていました。 ウプサラ大学は今回も研究室とパソコンを用意してくれて、落ち着いて研究できる環境を整えてくれました。ウプサラではゆかこさんの史劇を見に行ったり、かなこさん一家ときのこ狩りをしたり、しずかさん家でスーストローミングやザリガニをいただいたり、まなみさんちで焼きなす爆弾を作ったり、みんなで週末飲みをしたりと、楽しい日々でした。 今回は遊びも研究も、いいバランスで充実していたと思います。忙しさのあまり、スウェーデン語学校に行かれなかったのがちょっと残念でした。
 そして、無事に原稿も完成し、ヨテボリでの学会参加となりました。ヨテボリでは選挙前の政治家の如き忙しさで、学会にちょこっと顔を出して、知り合いのスウェーデン人研究者と待ち合わせてランチミーティング、午後からは留学時代にお世話になった方や教え子を訪れるという感じでした。 久しぶりにゆうきにも会いに行きました。ヨテボリで家庭教師をしていた頃は小学校3年生だったと記憶していますが、もうずいぶん大きくなって、落ち着いていました。カミラは夏休みの間に自力で掘ったという池を見せてくれました。パワフルです。
 学会発表には初日だというのにも関わらず、20人ほどの研究者が聞きに来てくれました。狭い教室はいっぱいになってしまい、北欧教育学会の時のような閑散とした発表を期待していた僕はずいぶん緊張しました。 発表後にはいくつかの質問もいただいて、休み時間に討論したりもして、勉強になりました。原稿はインタビューなどでお世話になった方々にお送りしましたが、メールでコメントが返ってきたりしてうれしかったです。やっぱりある程度の文章は英語で書くようにしたほうが反応があって良いなと、準備の苦労も忘れて思ってしまいました。
 学会を抜けて、澤野先生と学生さん、東大からベルリンに留学中の有希ちゃん、なかたんと大阪市の方をエクランダ基礎学校にご案内しました。 訪れる度に大きくなる学校は、ついに800人規模だそうです。学校選択制での勝者です。もう僕が直接教えた子どもたちはいませんが、就学前学級にいた女の子がお姉さんになっていたり、教え子の弟妹が大きくなったりしていました。前の校長はパソコン教室の先生に転職し、新しい女性校長がやってきました。たくさんの新しい先生方が働いていて、昔の若々しい雰囲気は少し薄らいで、落ち着いた学校になった感じがしました。学校という組織も年をとるのでしょうか。
 放課後、日本からの皆さんは市街に戻り、僕は残ってアレクサンダーのお見舞いに行きました。去年の6月にバイクで事故に遭い、寝たきりになってしまった高校生です。(第140報参照)クラスで一番のやんちゃ坊主で、職員会議の大半は彼の話題だったことを覚えています。 事故から一年以上が経って、病院からも退院し、リハビリを始めたそうですが、ちょうど9月で18歳になるため、少年のためのリハビリ施設から追い出されてしまい、地元新聞で問題にされていました。今回の学校訪問についてナタリーと電話で打ち合わせをしているときに、「他に何かしたいことがある?」と聞かれたので、ちょっと無理をお願いしてお見舞いをセッティングしてもらいました。 家族の方はユーモアたっぷりで、苦しい毎日にも関わらず、アレックスの周りでは笑いを絶やさないようにしていました。しゃべることができない彼は見舞いに行くと満面の笑みで迎えてくれて、握手したままなかなか離してくれませんでした。事故からしばらく経ってしまいましたが、会えてうれしかったです。
 ヨテボリの後、再びウプサラに戻って余日を過ごした後、ロンドンでミュージカル鑑賞の贅沢旅行をして帰ってきました。ヨーロッパでは2ヶ月前にすでに夏の終わりで、ちょうど今の東京と同じような気温でした。帰国してから一度しまった秋冬物の洋服を、クローゼットから再び出すときにはちょっと違和感がありました。 今後しばらくは大きなイベントもないので、日本の秋を堪能したいです。
雨の中のサザンライブ。復帰ライブにはまた行きたい!
シャワーの中のサザンライブ
女子大生の折り紙は子どもたちの興味をひきました。好奇心は学びの原動力です
夏の終わりのスウェーデン

第160報 2009年01月10日(土)
 Doors on the right side will open. > 写真

あけましておめでとうございます。

 ついに季刊ペースになってしまった定時通報ですが、たまには更新するので、忘れた頃にのぞきに来るくらいの淡い期待でよろしくお願いします。
 年末から良平が泊まって行って、お風呂の掃除をしてくれました。今日は一日空いていたので、やり残された排水溝の掃除をしていたら、あっという間に時間が過ぎてしまいました。 掃除をしながら脳内の小人と話していたら、ふと"The doors on the right side will open."という、電車で流れるあのフレーズが頭をよぎりました。「右側のドアが開きますよ」というのが直訳ですが、詩的に読むと 「ふさわしい道に自ずと導かれますよ」とも解釈できて、日常の中にも意外に深い格言が潜んでるものだと思いました。ひらめきがある一日は有意義に感じられて、それだけで幸せです。
 そんなフレーズが気になるのには、単純には、最近よく電車で出かけるからだと思います。受験生の面倒を見ているので(注:アルバイトではない)、その行き来とか、年末年始の移動とかです。 そして、フロイト的な背景は、そろそろ学振が切れた後のことを考えて、進路を決めないといけないなぁ、とか考えていることもあります。就職難が一段と厳しくなっていますが、そろそろ食い扶持の当てどころを探さないといけません。誰か僕に仕事をください。
 そういえば、前回の更新は10月でした。金融危機で大変になったのはそのちょっと前でしたが、2008年の前半頃は史上空前の好景気とか言われていたはずです。トヨタが史上最高益を出したりしていましたが、紅白歌合戦にしても、年末特番にしても、あたかも一年中不景気だったかのようなまとめ方をしていたのが気になりました。 団塊世代の大量退職と共に、日本の世論も老化しているのでしょうか。「病は気から」です。世界経済にとっても、必要な構造変化は受け入れて、the right sideが開ける年になると良いと思います。
 今年も変化の年になりそうですが、脱モラトリアムを目指しますので、みなさまどうぞよろしくお願いします。   
ポニョの後ろでびっくりおめめな人々
クリスマスにお呼ばれ
みなさん若い。前とお変わりなく、半端なくエネルギッシュ!さすがです
WCBF横浜大会のスタッフと


ホーム 定時通報