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第146報 2007年09月11日(火)
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熱中できない症
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やはり身体は正直にできています。猛暑の東京へ引っ越してきて、すぐに夏バテになりました。8月の電気代は連日のクーラーつけっ放しのためにべらぼうな金額でした。まんまとヒートアイランドの病に侵されています。
9月に入って少し涼しくなってきましたが、まだこの気候には馴染めていないようです。
8月の終わりには慶應義塾大学で日本教育学会がありました。僕はノルウェー研究をしている人と共同で北欧の教員養成におけるリフレクション研究についての発表をしました。
初めて国内学会での発表です。発表には大学院の先輩・後輩の他、大学関係者や教師教育者など、様々な立場の方が聞きに来てくださいました。ご質問やご意見もいただき、今後の課題も指摘していただきました。
今回の準備にあたっては、できることはすべてやる、出せるものはすべて出す、というレベルまでやったつもりでしたが、発表では研究の意図をうまく伝えることができなかった面もあって残念でした。
簡単に言うと、僕たちは、教員養成において「リフレクション」という概念があいまいなまま使われているのは何故だろう、という問いで、社会的・歴史的背景に焦点を当てていました。ところが、
発表後の質問では、リフレクションを促すためにはどうしたらいいか、という方法的な課題や、リフレクションとはそもそも何か、というような概念的な問いが上がってしまい、
結果的に社会的・歴史的な背景に関する議論ができずに終わってしまいました。発表を聞きに来ている人の中には、発表者より詳しく知っている人もいれば、今日初めて用語を知りました、という人もいるので、
議論の焦点をブレさせずに問いを投げかけるのは余程難しいということが分かりました。更なる修行が必要です。兎に角も、この一ヶ月ちょっとの間、缶詰になっていた課題はこれでひと段落です。共同発表の中田さんにはいつもながらお世話になりました。今後は残された課題をさらに精査して、投稿論文とやらにもっていきたいです。
学会発表後、いろいろ言われて落ち込んだのも束の間で、すぐに義務教育財政に関する調査に取り掛かりました。お仕事のお声を掛けていただけるのはありがたいことです。こちらも楽しみながら進めていけたらと思っています。
僕は生まれつきの「熱中できない症」で、複数の仕事を並行して進めることはできても、ひとつの仕事にどっぷり漬かるのがとても苦手です。それなりに勉強したいことがあって大学や大学院に入っても、授業にはほとんど行かずに課外活動にいくつも手を出してしまいます。
かといって没頭するひとつの活動があるわけでもないのです。小学校で勤めても年休をとりまくって学会に行ってましたし、スウェーデンに留学してもしょっちゅう他の国に出かけてました。何かひとつのアイデンティティに当て嵌められることが嫌いで、(おそらく両親譲りの)頑固なリベラリストなのです。
思うに、この性分は研究者には向いていません。この点は良平と好対照なのではないかと思います。中学生の頃、テストの点数で賭けをしたことがありましたが、良平は
「社会だ!」「英語だ!」というと、その教科だけは目を見張るような点を取ってきます。そういう時は僕がどんなにがんばっても適わないものです。いろいろなタイプの人間がいるのはいいことです。たくさんのわらじを履く生活を選ぶのか、方々に伸ばした触手を回収してまわるのか、そろそろ考えなければいけない時期かも知れません。
さて、先週末はアドスタ恒例、夏の秋川デイキャンプへ行ってきました。保田さんが体調不良で来られなかったため、ひとり風呂になってしいましたが、
秋川渓谷の清流に触れて、ひんやり涼しい鍾乳洞へ入り、つるつる温泉で汗を流して、とがっつり楽しみました。カラオケ屋を探す道すがら、迂闊にもお好み焼き屋を発見してしまい、
下っ腹が出っ張るほどの炭水化物ほかを堪能しました。「来年は三宅島に行くぞ!」と誓い合いました。(忘れないためのメモ書きです)
明後日はサッカー日本代表の北京五輪最終予選を見に行ってきます。雨な予感ですが、負けずに応援してきます。
そして、やっぱり・・・(苦笑)。10月21日から2週間ほど、フィンランドとスウェーデンへ出張することになりました。
今回はすぐに帰ってきます。この件、シェンゲン条約ビザの90日条項というのがあって、えらい目に遭っています。僕の場合、帰国日の8月1日から起算して90日以内はヨーロッパ域内に再入国できません。10月21日はぎりぎり入れません。
仕方が無いのでシェンゲン・ビザ(観光ビザ)を申請しようと思ってスウェーデン大使館に行ったのですが、日本人からの申請は受け付けられないとのお返事でした。もう、スウェーデンにも入れてもらえない身になりました(涙)。他に手段は無いので、留学用に発行された9月15日までの研究者ビザを
延長する手続きをすることになりました。ウプサラ大学などにはいろいろご無理をお願いしているところです。万事順調に進んでくれることを願っています。
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日本教育学会で発表
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今年も秋川へ
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第147報 2007年09月17日(月)
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大泉ラーメン300円
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2週連続の3連休といったって、まだ夏休み中なので関係ありません。最近は毎日一件ずつ用事が入っている程度のゆったりした生活を送っています。
お陰で、スウェーデンから持って帰ってきた文献を少しずつ読み進めることができます。帰国してからあれよあれよと言う間に、方々からお仕事をいただき、この半年の間に5回も海外出張の予定が入っています。月1ペースです。他人のお金で旅行ができるのは楽しいですが、それなりの責任も伴うので、こう何件も積み重なってくると
押しつぶされそうです。機会をうまく利用して文献収集を進めようと考えています。
先週水曜日はサッカーの北京オリンピック最終予選を観てきました。ワールドカップを含め、日本代表の試合へはこれまで何回か行きましたが、いつも日本が負けていました。
疫病神か?とか思っていましたが、今回の日本-カタール戦は1-0で勝ちました。前半6分に点を入れた後はぐだぐだした展開が長く続いて面白みに欠ける試合でした。
ぶつぶつ言うひできの横で「でもそんなの関係ねぇ」と言いながら保田さんとビールを飲んでいました。これはこれで結構楽しめました。
この日は安倍総理がびっくり会見をして、新宿駅の前には号外にたかる群集と警戒でピリピリした警官が溢れていました。
政治不信に陥った庶民は、コロッセオで憂さ晴らしに興じているのがいい加減かも知れません。
週末は知友との飲み会でした。ドイツからゆきちゃんが帰国中ということで、金曜日は修士のときの同級生達と新宿で集まりました。
「逃走だ」「宗教だ」と言いたい放題だった僕が最後まで残っているのはいかがかと思いますが、
相変わらず頑張っているみんなを見て少し励まされました。がんばる大人はかっこいい。
土曜日はかなり久しぶりの横浜へ。中華街で元大泉寮生のみなさまと集まりました。小学校、高校の教員、消防士、天下りの請け口職員と、それぞれ興味深い「現場」を持っています。
大学4年間、あの劣悪な環境でよく生き延びられたなぁ、という感慨半分、初めての一人暮らしで助け合って、知恵を出し合って、楽しかったなぁ、という感傷半分。
大洪水のトイレ掃除とか、深夜に臭う風呂の水とか、「寮生大会」とか、振り返ればきりがありません。「40になっても飲むから」という声もあるので、長く付き合っていけたらいいな、と思っています。
ベランダの春菊が勢いよく育っています。暑さが引いたら、なべパーティがしたいです。(参加者募集中・桃鉄をお持ちの方最優先)
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ジャパン・ブルーにつつまれて
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レッツ・ノミニケーション
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第148報 2007年10月20日(土)
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拡大家族週間
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おじいちゃんの長年の研究が評価されて、母校の二松学舎大学から名誉博士号(文学)が授与されました。わが一族で
初めての博士様です。おじいちゃんは授与式が終わった後、おばあちゃんとお母さんははとバスツアーが終わった後、それぞれ御茶ノ水駅に集合し、
お夕飯を食べに行きました。他の用事も入っていてちょっと忙しなくなってしまいましたが、元気な祖父母に会えてうれしかったです。
その前の月曜日(8日)はお父さんのお誘いで、内モンゴルを題材にした映画「白い馬の季節」を見に行きました。超マイナーなので、どんなものかと思っていたのですが、モンゴルの雄大な自然と人間味、そして資本主義の侵食に苦悩する遊牧民の姿が
細密に描かれていて感動しました。ちょっとモンゴルに行ってみたくなりました。
11日(木)からは4泊5日で武蔵野市の中学校のセカンドスクールに行ってきました。新潟の山村だとばっかり思っていたら、白馬でした。何のことはない、お父さんとよく行った風景に出会いました。
最近思い込みと勘違いが多いです。中学生はとても素直で、拍子抜けするほどでした。僕は小中高で言えば中学が一番楽しかったと思いますが、それでも学年集会でお説教、とかいう日常だった気がします。
いたずら坊主や反骨精神の塊のような友達がいて、迷惑だけど面白かったと記憶しています。時代が変われば子どもも変わるものです。
さて、明日からはそのお隣、三鷹市の教育長ご一行様を北欧にお連れします。懸案だったビザを取得するのに、昨日は世界を巻き込んだ戦いをしました。
明日(日曜日)に出発なわけですが、東京のスウェーデン大使館は土日は閉まっています。なので、金曜日の5時までしかチャンスは無い。スウェーデンの移民庁は朝の9時に仕事を始めるのですが、これが日本時間の4時。
つまり、金曜日の4時から5時の一時間の間にビザの審査と発給をしてもらわないと、入国審査に通らなくなります。ヘルシンキまで行って門前払い間違いなしです。昨日の午後4時、六本木のスウェーデン大使館前まで行き、国際電話で移民庁に電話しました。窓口の女性は「1時間では絶対に無理、諦めてください」と。こんなジャブでめげるわけにはいきません。かなり反則ですが「審査担当者の直通番号を教えてください」と粘りました。
しぶしぶ教えてもらい、電話してみると「会議のため10時まで戻りません」という自動メッセージが流れてきます。って、10時じゃタイムアウトですよ!!即座に別のアポインターにつないでもらい、事情を説明し、会議室から引っ張り出してもらいました。
大事な会議を抜けてきた担当マーリン、「お前は誰だ?」と聞くもんで、ケース番号を伝えると、まだ書類が揃っているかも分からないし、すぐには無理と言う。そこで「電話をつなぎっ放しにしておくので、今すぐ審査してください」と頼む。さすがに田舎の人は情に厚く(移民庁の審査官はノルショッピンで働いている)、そこまで言うなら、と審査をしてくれることになり、10分強、電話の向こうで書類をペラペラめくる音とうなり声が聞こえました。そして、最終的に「公正に審査しましたが、許可を出せます」という声が返ってきました。
その電話をそのまま大使館の職員に渡し、10分程度で東京に結果が送られてくる旨を伝えました。ノルショッピンのマーリンは上司の裁定をもらいに行き、東京の大使館職員は僕のパスポートを奥へ持って行き。ちなみに大使館の窓口業務は昼の12時まででしたが、電話を片手に「そんなこと言わないで」と頼むと、奥に電話して無理無理動いてくださいました。数々の反則がパレードしています。
そんなわけで、4時から始まった戦いは5時5分前に奇跡的な成果をもたらして終わりました。本当に、世界中にご迷惑をおかけしました。これで無事に北欧の地を踏めます。
今回の旅はユバスキュラ、ヘルシンキ、ヨテボリ、ウプサラ、ストックホルムを一週間でまわるので、大忙しです。
公的スケジュールの傍らで、ひとりオプショナル・ツアーもやります。ヘルシンキではエンゲストロームの研究室の院生と飲む予定で、マイケル・コールとエンゲストロームのビデオ会議にも誘われいます。ヨテボリではアレクサンダーと日本旅行の計画を立てて、ウプサラでは皆様とお気に入りのビールをいただいてきます。行って来ます。
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おじいちゃんに名誉博士号
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秋桜と北アルプスの山並み
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第149報 2007年11月08日(木)
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Oh, Happy Day!
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なぜだか、「天使にラブ・ソングを 2」の"Oh Happy Day"が頭から離れません。そして、帰国から一週間が経っているにも関わらず、時差ボケが治りません。
朝の8時に眠くなり、15時ごろスッキリします。体内時計がグリニッジ標準時+1でまわっています。
先週まで再びスウェーデンに行ってきました。三鷹市教育長ご一行様のツアーです。ぎゅうぎゅうに詰めたスケジュールに振り回されてしまった感がありましたが、内容の濃いツアーになりました。
移動もかなりハードで、ツアーの皆様を空港で送ってからウプサラに着いたときには言い得ぬ安堵感がこみ上げて来ました。ともあれ、たくさんの方々にお世話になって無事に
終えることができました。
ご一行様が帰国後、ウプサラの元同級生たちや日本人の方々と連日飲みまわりました。元同級生たちは上の学校へ入り、スウェーデン語もどんどん上達しているご様子でした。
夏を越えたキッズは、ギターがやたら上手くなっていました。これから長くて暗い冬を迎えるというのに、みんな明るかったです。また来月もお邪魔します。
およそ2ヶ月ぶりのウプサラでしたが、右側通行を間違えて人とぶつかりまくり、携帯電話の使い方に躊躇し、行き慣れた店が変わっていたり、と戸惑うことも多々ありました。
住んでいた頃よりもスウェーデン語が使えると感じたのは、たぶん気のせいでしょうけど。
10月29日、30日にはストックホルム・メッセで開かれた「学校フォーラム」に行ってきました。学校フォーラムではスウェーデンの指導教官に再会し、
最近の様子をお伝えしました。また、フレデリック・ラインフェルド首相にもお会いし、教育の重点課題について伺いました。首相いわく「第一に、就学前教育の充実と基礎学校との接続問題、第二に教師の質の向上(現職教育)と教員養成」と。
あまりに予想通りの回答で拍子抜けですが、世界の課題はスウェーデンの課題だと納得しました。
毎年学校フォーラムと並行して行われる「全国教育長会議」にも潜らせていただき、来月の調査のアポをとってきました。ジャーナリストばりの潜入調査です。一同に集まったスウェーデンの教育長たちはインテリ集団の匂いがしました。
ゲストには現行の学習指導要領を策定した3人のうちの一人、レイフ・ダヴィッドソン教授が来ていました。彼が学習指導要領の意図と地方行政の実態について話している間、当事者の教育長たちは結構イライラしていました。
来月の訪瑞では、地方自治体の声を聞きまわります。地方分権化改革が現場ではどう受け取られているのか、本音を聞けたら面白いと思っています。
帰宅すると、いつものようにポストに大量のチラシと郵便物が入っていました。その中に、ゴールデンウィークの頃に出した学術振興会の審査結果も入っていました。
去年は業績が足りずに不採用になりましたが、今年は見事に採用内定になりました。国内外での学会発表に加え、いくつかの出版もあり、業績が増えたことがポイントだと思います。また、フィンランド研究をなさっている方に申請書を読んでいただき、
隅々までアドバイスをいただいたこともとても大きいと思います。もう頭が上がりません。そんなわけで、来年度から、毎月のお給料と研究費がもらえることになりました。スウェーデンにもちょいちょい出かけられます。
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ヘルシンキの大聖堂
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三鷹市教育長のご一行様
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第150報 2007年12月18日(火)
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「子は宝」宝は換金される時代
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一昨日までの10日間、再びスウェーデンへ行ってきました。今回は義務教育財政の調査ということで、あちこちの自治体をまわって、学校教育にどれくらいの
お金が使われているのかを調べてきました。下調べの段階で驚いたのは、教育費支出が少ない自治体がテストの成績が悪いのかと言えば、そうとも言えないこと。
また、テストの成績が悪い自治体がリソース不足なのかといえば、これもそうとも言えない。
地方分権体制のなかでも、国レベルの平準化システムがことごとく貧しい自治体の底上げに働いていました。
今回の調査では、生徒一人当たりの教育費支出の捉え方が変わりました。教育費支出の高い自治体の多くは少子化を迎えた地方で、
生徒の数は減っても教師を整理できないということが要因なようです。「リソース=質」とは単純に言えない点が興味深かったです。
また、保守が優勢な地域では、熾烈な公私間競争が起こっていました。1992年に私立学校の設置が認められるようになったのですが、その後いくつかの「学校会社」が生まれています。
公立学校の校長が自分の学校を二束三文で買い取って、私立学校にしてしまうなんてこともまかり通っているようです。校長は数年後に自分の学校を「学校会社」に高値で売り、莫大な利益を得ようという目論見だそうです。
次々と建てられる私立学校とは対照的に、閉校を余儀なくされる公立学校もあります。ウプサラ市にインタビューに行ったときには、ちょうど3つの公立学校の閉鎖が決定された翌日で、デモンストレーションをする生徒たちが市庁舎前を塞いでいました。
お金の使われ方を見ると、子どもの成長に投資しようとする自治体と、産業としての教育への投資と考えている自治体とのヴィジョンの差が見られて面白かったです。
さて、今年の正月はわが祖国で迎えられそうです。去年のようにシャンパンを飲みながら花火をあげて、というのも良かったですが、日本酒を飲みながら初日の出を拝むというのも風情があります。正月は大概何かの締め切りや試験などで楽しめないものですが、今年は羽を伸ばせそうです。
みなさま、楽しいクリスマスと良いお年を。
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生ラーメンを食す会
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ライトアップ・ポセイドン
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