定時通報

第141報 2007年07月01日(日)
 薄目で聴くバイエルン協奏曲 > 写真
 先週は月曜日から金曜日までミュンヘンへ出かけてきました。スウェーデンでは終業式も終わり、すっかり夏休み気分に浸っていたのですが、ドイツではまだ子ども達がかばんを背負って学校へ通っていました。なんだかとても新鮮でした。 さらに一ヶ月も学校や会社に行く日本人の勤勉さには改めてびっくりです。
 ミュンヘンでは初日に空港でお父さんとお母さんと落ち合い、お仕事のお父さんを残して、翌日はお母さんと二人でサイクリングに出かけました。僕は8月にも大学院の同級生とミュンヘンでサイクリングをしましたが、今回は少しルートを変えて、 ミュンヘン市内からニュンヘンブルグ城の方向へ行きました。途中でお昼ごはんを食べたレストランでは、おいしい野菜とバイエルンのビールをたらふくいただきました。ほろ酔い加減でお城に着くと、その裏手には西洋庭園が広がっていました。そして、お庭といえばお母さんの健脚モード。 渡欧の直前に腰を痛めたとか言っていながら、やっぱり広いお庭を隈なく歩いてまわっていました。その間、酔っ払いの僕は木陰のベンチでお昼寝をしていました。少し暑いくらいの良い天気で、時折ふく凱風とゆったりした時の流れはまさに楽園でした。
 ミュンヘン3日目はバスツアーに参加し、有名なノイシュバンシュタイン城へ行きました。やや張り切り気味な添乗員さんが案内をしてくれました。お昼時にノイシュバンシュタイン城のふもとの町に着き、ホテルのレストランでドイツ料理を食べました。 デザートに頼んだ特大チーズケーキとそれにたかるハエと格闘していると、またまたアルコールが体に染みてきました。ノイシュバンシュタイン城は世界的に名が知れているだけあって、言葉を失うほどきれいでした。それでも、マリエン橋からのアングルでは飽き足らず、九死に一生の崖のぼりまでして写真を撮ってきました。 僕がビル・ゲイツほどの金持ちになったら、この城を買い取ってサマーハウスにしたいところです。
 木曜日は念願のダッハウ強制収容所跡を見学に行きました。前の留学の最後にかもたちとのポーランド旅行をドタキャンして以来、収容所は一度行ってみたいと思っていたので、4年越しの願いがようやく叶いました。 収容所の展示物などはむごい歴史を押し付けるだけの解説ではなく、史的研究から得られた真正な事実を淡々と示すというスタイルで、深い思慮を感じました。 ナチスでももちろんそうですが、日本の戦時下での出来事は歴史の解釈をめぐってさまざまな立場が意見を闘わせています。 そのような状況の中でも、事実を再構成できる原資料をありのままで展示するということは意味のあることだと思います。 特に、デンマーク、スウェーデン、フランスと次々と右傾化と移民排除の傾向を強める昨今の欧州情勢の中にあっては、史跡の警鐘に常に片耳をあてておきたいところです。
 そして、この日の夜はバイエルン・フィルハーモニー・オーケストラのコンサートに行きました。音楽が心地よすぎたのかは定かではありませんが、方々で転寝姿が見られ、日本の国会中継のようでした。その光景が面白くて僕は一人でハイテンションでした。 演奏はとてもきれいで、バイオリン独奏は特にすばらしかったです。また、ガスタイク文化センターのフィルハーモニー・ホールの構造が複雑怪奇で強く印象に残りました。
 最終日の金曜日は午前中はゆっくりして、お昼前に市内にお土産を買いに出かけ、空港でお昼ご飯を食べてお父さん、お母さんと別れました。帰りの飛行機は遅れに遅れ、ストックホルムに着いたのは深夜1時過ぎでした。それは折りしも夏至の日です。白夜で沈まない陽光が憎らしかったです。お母さんとお父さんはトンボの産卵のように、大磯に帰ってすぐにハワイに出かけました。
 ノイシュバインシュタイン城に行った日、お昼ごろから夜までずっとハエにたかられていて、いやな予感がしたのですが、その後に日本からメールが来て、東京の高校生がバイク事故で亡くなったそうです。その子が小学生の頃からの知り合いで、大磯に海水浴に行ったりしたこともあったのでとても残念です。ご冥福をお祈りします。 そして、ヨテボリでバイク事故を起こした教え子はまだ意識が戻っていません。木曜日に「最後の」外科手術をしたそうですが、その後の容態は伝わってきません。良くなってくれることを願っています。僕に今できるのは「交通安全」を叫ぶことだけ。
太陽光からの栄養がたくさんつまってるからかな?
やっぱり南はおいしい
金持ちは考えることが違うんだ
ノイシュバンシュタイン城にて

第142報 2007年07月08日(日)
 07-07-07 > 写真
 もう昨日のことになってしまいましたが、2007年7月7日、日本は七夕、世界はLIVE EARTHでした。 近代化の過程で時間の観念が生活の隅々まで染み渡っているので、7月7日も8日も24時間、一般的には等価値だと信じられていますが、 やっぱり数字が揃うとうれしくなるものです。僕は一日が24時間だとは信じていないので、堪えられないほど長く感じる日もあれば、気付かぬ間に過ぎていく日もあります。 「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」なんて思いながら、まだ若いのに漂泊の思いに駆られて、遥か北限の地まで来てしまいました。「思えば遠くへ来たもんだ」てなもんで。
 スローライフがちやほやされた時期がありましたが、景気が持ち直した昨今、日本はまた過労死街道にまっしぐらです。スウェーデンにいると、時間がとてもゆるく感じます。前近代的なところもあってのことでしょうが、 人間本位であれる社会というのはありがたいものです。ところが、生活の中では困ったこともたくさんあります。特に身近なのは、食品の賞味期限切れです。 牛乳とか生絞りジュースとかは、期限日が来ると正確なタイマーのように腐り始めます。そのくせ、スーパーでは期限切れの商品が堂々と陳列されていたりします。 こちらでの生活で、買い物袋を持参することと賞味期限を確認することは無意識でもできる習慣になってしまいました。そして、タイトルの07-07-07に戻りますが、こちらの日付表示は紛らわしくて仕方がありません。 輸入商品の割合が高いというのも要因のひとつですが、年-月-日と表示しているものもあれば、日-月-年と表示しているものもあり、さらには月-日-年まであって、もう理解不能です。 まだ31-11-08とか表示されていれば分かるのですが、08-05-09となってしまったら意味不明です。ここら辺、統一してくれることを切に願います。 そんなこんなでも、07-07-07は100年に1回しか来ない分かりやすい日付です。さすがに100年後の消費期限はないでしょう。やっぱり時間は等価値ではないのです。
 先週と先々週は音楽が溢れたすばらしい時間でした。先々週の火曜日はストックホルムのスカンセン(野外博物館)でテレビの音楽番組の収録を見てきました。 久しぶりにミラクル・ダニエル(牧師)と彼の奥さんのイェニーと再会し、ヨテボリに留学していた佐藤さんにも会いました。スウェーデンで大人気のテレビ番組、その名も「みんなのうた(Allsang)」。ユーロヴィジョン・ソング・コンテストにスウェーデン代表で参加したTHE ARKや 往年の人気バンド、エレクトリック・バナナ・バンドなどの豪華なステージの合間に、聴衆が合唱する曲が挟まれていて、参加型の野外コンサートになっていました。 スカンセンのステージから見渡せるストックホルムの群島がとてもきれいで、野外劇場のオープンな雰囲気が加わってとても楽しいコンサートでした。収録は毎週火曜日やっているので、毎回でも見に行きたいくらいです。
 先週の火曜日は知人宅でプロフェッショナルによる「ピアノの夕べ」でした。ウプサラの日本人はどういうわけか器用な人が多いです。 ピアニストの腕前は言うに及ばず、誰も彼も楽器ができてしまいます。僕は口笛と手拍子くらいしかできないわけですが。贅沢なピアノの時間の後は みんなで餃子を作って食べました。餃子の皮がスウェーデンで買えるなんて知りませんでした。つい先日、再びビニール袋を取り出して小麦粉から手製の皮を作ったところだったので、ちょっとショックです。
 あとは、バーベキューをやったり、ピクニックに遭遇したり、カレーを祝うために集ったり…。スローライフで夏休みを楽しんでいます。
 今日は夜10時過ぎにオランダからマイケルが遊びに来ます。ストックホルムを案内しようかな、と思っています。
ファンの黄色い声が若かった…(汗)
野外コンサートの夏
周りによい環境があるということもとても大切です
日常を楽しむ余裕があります

第143報 2007年07月18日(水)
 ウプサラの真実 > 写真
 そろそろ離れてしまうわけですが、そんなウプサラのびっくり統計をひとつ。 スウェーデンは国際競争力が世界で最も高いと評価されているバリバリの資本主義国家ですが、 こちらの日常で感じるのはむしろ社会主義的な側面が多いです。ウプサラ市の人口は約19万人。 ウプサラといえば大学と教会、というのが一般的なイメージだと思いますが、実は違うのです。 ウプサラの主要産業は「ウプサラ市」です。なんと、人口に対して6.4パーセントもの人がウプサラ市の職員で、 それにウプサラ県が続いています。市の職員には学校の先生も含まれ、県の職員の多くは病院関係者ということになりますが、 下の表に示したとおり、上位4事業者を軒並み公共部門が占めています。さらに、5位のGEヘルスケアも大学と医療関連の事業を展開しているので、取引先は公共部門が多いのです。

事業者従業員数 (比率)
 ウプサラ市11816 (6.4%) 
 ウプサラ県10926 (5.9%) 
 ウプサラ大学5500 (3.0%) 
 スウェーデン農科大学1862 (1.0%) 
 GEヘルスケア バイオ・サイエンス1099 (0.6%) 
 空軍基地900 (0.5%) 
 ウプサラ警察670 (0.4%) 
人口 185187人 (女:94701 男:90486) 2007年統計資料

 ちなみに、日本の学園都市、茨城県つくば市は人口203280人に対して、市の職員は1913人です(統計つくば2006)。 これに、小学校教員(705人)と中学校教員(383人)を足しても、到底ウプサラには敵いません。 「この国は共産主義だ」なんて呟くと憤慨するスウェーデン人もいますが、市中のお金の多くが市内で循環しているという構造で、よくこんな好景気を保っていられるものです。
 さてさて、先週はオランダからマイケルが遊びに来ました。月曜日に来るものだとばっかり思っていたら、日曜日の昼に「今から出発します」というメールが届いて、さぁ大変。 月曜日は僕の勘違いでした。スウェーデンはあいにくの天気で、雨か曇りの繰り返しで少し残念でした。マイケルとはウプサラとストックホルムを観光してまわったり、 テニスとミニゴルフをしたり、ちらし寿司を作ったりと、ゆったり遊びました。スカンセンでは野外コンサートの収録に再び行き、一緒にスウェーデンの全国ネットに映ってきました。マイケルは金曜日の早朝に元気に帰って行きました。
 週末は日本人とスウェーデン人と、どっからかやって来たドイツ人と、さらに臭いを嗅ぎつけて集まったハエたちも交えてスーストローミング(世界一臭いと評判?の魚の缶詰)を食べました。 雨がちらついていて心配したのですが、夕方には晴れ上がって、臭い夏を楽しみました。
 もう帰国までのカウントダウンがはじまってしまいました。前回の留学のときはひと月くらい前から帰国準備をしていたような記憶がありますが、 今回は前日になっても動かないのかもしれません。8月1日に帰国するので、もう2週間を切っているわけですが、今頃になってプリンターのインクを買い足したり、電球の玉をまとめ買いしたりしてしまうほど 呑気なものです。
 今は本郷の我が家にアメリカからショーンご一行様が泊まりに来ています。家主不在なため、友達が面倒を見てくれています。 モンゴルでは良平が皇太子に接見したそうです。今年は林家の皇室イヤーです。それにしても、こんなに簡単に人が行き来できるなんて、世界は狭くなったものです。
天気はいまいちでしたが、たくさん遊びました
マイケルとストックホルムへ
黒板の文字はウサギの足で消します
20世紀初頭の教室

第144報 2007年08月05日(日)
 さらば、ウプサラ > 写真
 帰国しました。今回はストックホルム発、フランクフルト、ソウル経由で成田着の長旅でした。フランクフルトでは乗り継ぎ時間を利用して、 ベルリン自由大学へ留学中の同級生と会いました。ヴィゴツキーの読書会をする予定でしたが、広場でおいしいドイツ料理とりんご酒をいただき、 お気に入りのチョコレートを大人買いし、道に迷ったりしているうちに時間は瞬く間に過ぎてゆき、結局歩きながらと駅構内のカフェで最後の30分くらい 読み合わせただけになってしまいました。でも、楽しい乗り継ぎになりました。
 帰国前は予定外のタスクに身をとられていました。8月下旬に学会発表をする予定なのですが、そのデータが足りない!!という事態が発生。 夏休みの図書館は帰国前日まで開かないので、手の打ちようが無いかと思われたのですが、研究室の鍵が図書館の入り口にも使えることが判明。 土日で誰もいない研究所で、こっそり図書館に忍び込み、セキュリティ・アラームがならないかビクビクしながら大量にコピーをしていました。 まるで007の世界です。50本ほどの文献をコピーして、その量は4日間で1万枚ほど。軽い腱鞘炎になりました(涙)。
 そして、日曜日には帰国前の「散財パーティ」を我が家で主催しました。おいしい料理をいただいて、食べた皿からフォークから、残らず持って行ってもらうというコンセプトです。 我が家にあったたくさんの物が見事にきれいに片付きました。ウプサラでは楽しい思い出も苦い経験も、たくさんありましたが、すばらしい仲間に出会えたことは一番の お土産です。またスウェーデンと日本を行ったり来たりするのでしょうが、すぐにどこかで会えることを期待しています。
 ウプサラでの生活は、貧乏生活と移民体験が圧倒的でした。東大からいただいた奨学金は月に10万円、そのうち7万円は寮費で消えるので、残りの3万円で生活をしなければなりませんでした。 無理です。ペットボトルの水(500ml)が350円というこの国では、いくらお金があっても足りないという緊張感がありました。 そして、家にある不要な物はすべてインターネットで売り払い、お金が無いときには食を減らしてパンを焼き、良平から借金し、おじいちゃんおばあちゃんの光明にすがり、と。まぁ、今考えてもよく生きて延びられたものです。
 そして、移民体験も強烈でした。客員研究員なのに、なぜか「移民のためのスウェーデン語」に通っているという錯誤した生活。そして、職探しのためにハローワークに行ってみたり、 幼稚園の採用面接を受けたり(しかも、落とされたし…)、日本語を教えるアルバイトをしてみたり。「日本から来た留学生です」と自己紹介したときと、「移民です」と言ったときと、明らかに現地人の反応が違うことに 苛立ちと失望を覚えたりもしました。それでも親しくしてくれるスウェーデン人はいるもので、そういう信頼できる人たちには本当に救われました。
 研究の面では大して進みませんでしたが、午前中に近所の基礎学校で授業観察、午後はスウェーデン語で生徒役、夕方からは研究室でお仕事、と一日に3役をこなしていました。 この期に及んで学校の生徒になるとは考えてもみませんでしたが、先生の分かりにくい教え方とか、宿題の煩わしさとか、級友との関係とか、学校時代の忘れていた感覚が蘇ってきて驚きました。まぁ、そんなに真面目に通っていたわけではないのですが。 教育関係者のコネクションは充分に広がったので、これからの研究活動に生かしたいと思います。
 ウプサラはスウェーデンの多様な面を見せてくれたと思います。それと同時に、自分自身の新しい面も開発されたように思います。留学を支援してくれた方々には感謝しています。
 そして、灼熱の東京へ。人、多すぎです。帰ってきて早速床屋に行こうとしたのですが、道々で人にぶつかり、ほとほとに疲れてしまいました。そして、ものすごいスピード感です。 牛丼屋に入って、オーダーしたら直後に皿が出てきます。レジやATMで並ぶことはないし、電車は時間通りだし。すごい国です、日本は。
 帰国翌日は大磯へ海水浴に行きました。台風5号の影響で大風と高波でしたが、夏を満喫しました。昨日はカラオケへ。この一年間でたまった願望は、早々に吐き出しています。あ、温泉にも行っておかないと。
いろんな思い出ができました。さらば、ウプサラ。
帰国前に「散財パーティ」
ゆきちゃんとヴィゴツキー勉強会のはずが、チョコの大人買いがメインになってしまいました
フランクフルトぶらり旅

第145報 2007年08月24日(金)
 灼熱のアスファルト・ジャングル > 写真
 なぜ東京はこんなに暑いのか。人が集まりすぎて、密度が高いから。人々が働きすぎて、体温が上がるから。ビルが高すぎて、風が通らないから。さて、どれでしょう。 と、冗談を言っていられないのも今年の猛暑。熱中症でヒトもレッサーパンダも倒れています。14度だったウプサラから、38度の東京へ着いてみて、「こりゃたまらん」と 家に篭りっきりです。これまでなるべくクーラーは使わないで生活していたのですが、今年は解禁。28度設定で一日中つけています。環境には悪いんだろうけど、背に腹は代えられない。 代わりに、コンビニにもマイ・バッグ(ICAの布製)を持参しています。石油をエネルギーとして使うか、合成樹脂として使うかの違いです。
 さて、帰国しておよそ3週間が経ちました。この間、大学院のゼミ合宿があったり、三宅島や都内から人が泊まりに来たり、実家に帰ったりで、うちで一人で寝たのはほんの数日だった気がします。 来週に控えた学会発表という懸案もあり、いまいち「ぱーっ」と遊べないのが悩みです。そういえば、東京での生活ってこんな感じだったかもしれない、と昔の感覚を呼び戻しているところです。
 今年のゼミ合宿は河口湖でした。毎度のことながら、毎日缶詰でずっと勉強をするわけで、河口湖まで行くメリットはほとんどありません。でも、念願の温泉にほんの数分つかることができました。 ゼミでの発表は雷が落ちること必死の覚悟で臨んだのですが、セーフでした。できることはすべてやって行ったので、地雷を踏んでも仕方が無い、という覚悟で行ったのですが、拍子抜けでした。 いや、もしかして時間差攻撃なのかもしれない…(汗)
 先週の土曜日はアドスタの緊急ミーティング(飲み会)、そうめん大会をしました。暑い夏にぴったりの企画です。ひできが横で寝ている中、朝から学会発表の打合わせをし、 相方が帰ってすぐにお客さんをお迎えするというケツカッチンぶりでした。アドスタの皆さんはご結婚されたり、お子さんができたり、などなど、いろいろな人生を歩んでいます。 ちょっと隙があれば浦島太郎になってしまいます。この日は徹夜でカラオケに行きました。心なしか、時間の流れがはやく感じました。
 今日は朝青龍のお国から、良平の徒弟たちが東京へやってきました。世界競泳のモンゴル代表の3人です。学会発表の打合わせの合間を縫って、秋葉原を案内してきました。 彼らのような途上国に住む人たちが、若いうちに海外を見て回れる機会というのは願っても得られないものだと思います。スポーツを通じてポジティブな経験を積んで、ゆくゆく祖国の発展に資する人材になるといいなぁ、と思いました。そうすれば、良平の株も幾分か上がるかも知れません。
 帰国報告に対する皆様の反応が100人のうち100人までもが、「で、今回はいつまで日本にいるの?」というもの。お師匠さんも、大学の事務さんも、仲のいいはずの友達も。 念のためここにも書いておきますが、永久帰国ですよ。国外追放でも亡命でもありませんからね。日本の大地に根をはるのです。
ケーキをお箸でつついたり。モノポリーは日々進化しています。
猛暑をけ散らすそうめん大会
外からの目で見ると、日本は本当に消費大国・サービス大国に映ります
モンゴル少年がガチャガチャに挑戦


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